お祭り

ノーベル賞受賞で騒ぐなんて低俗な。特に今回の場合はすでに名前が教科書に載っているような人達なわけで、その分野ではすでに十分認められているわけで、今更賞貰ったところで評価が変わるような人達ではないのです。やつらは何もわかっちゃいない…


とか、よく言うよね。僕も言いたい。

一方で、


来年からお世話になる研究室は小林、益川両名の出身でもあって、時期的にラッキーだなー。とか考えてる自分って世俗的だなー。とか思う。この「ラッキーだな」というのは、本人による特別講義的なものが行われるだろうという期待以外に、世間一般の研究室に対する評価的なものが上がるだろうという嫌らしい部分に依るところもある。もちろん、坂田昌一からの流れをくんで、小林益川以外にも大貫義郎、高橋康などのビックネームが関与しているすごい研究室ってのは知っていたけれども、いざノーベル祭りが起ってみるとやっぱ「すごい」って言っちゃう、他人の評価に踊らされてる自分がどうもねー。別に、賞とってもとらなくても研究室に変わりはないのにねー。もっと言うと研究室がどこだって、自分は自分だよ。



なんか良い効果があるとすれば、政府に、大学の研究にもっとお金をかけることを意識させることができたこととか。でも多分、実際に行われるのは大学改革という名の地方切り捨てだろうな。大学の数は少子化に伴って減らしても良いと思うけど、今ある大学間であんまり(公的補助金の)格差付けすぎるのってダメだと思う。多様性を維持させるような政策しなきゃ、国は衰えると思うなー。
政治に無関心な物理の教授とかに国会議員やってもらいてーなー。

一年間だけ世の中の人間をみんなシャッフルしてランダムに仕事に就かせてどうなるか実験してみたいなー。


てか、話違うけど、日本は科学技術立国目指してるんだったらもっと金使えってことだよな。政府としては博士に進んで欲しいわけでしょ?博士まで進むのにお金がいるし、その後就職難だから博士に進むのが躊躇われる。だったら院の生活費補助と、博士課程後の生活をもっと後押しするべき。

院の生活費の問題については、外国に比べたら補助は劣っている。けど、日本で同じことをやろうとしてもお金が足りないらしいからムリは言わない。
日本でも親に頼らなくても無茶(つまり、後のことは考えずに社会に出る前から奨学金という名の借金を背負いまくり、さらに家族のことは基本ほったらかしにするということ)をすればどうにか博士課程を終えられる。問題はその後にあって、もしその後普通にいけば会社や大学などに研究者として就職できるというのならみんな喜んで博士まで行くと思うんだけどな。つまり、企業のみなさんにも、日本を支えている科学技術の重要さを再確認してもらって、目先の利益にとらわれずに、博士を多く雇うということが会社全体の利益に繋がり、ゆくゆくは日本全体にも良い影響を与えるんだということも考慮にいれてもらいたいということ。政府も、博士を雇うと補助金が出ます的なことやったりさ。