第8章 習慣と即興

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)


著者は、人間が階層的なオートマトン(自動機械)であると言うためにホロンという新たな概念を導入したのではない。むしろこれまでの議論は、機械論的決定論の罠から遠ざかるためのものである。これには、以前にも出てきた階層性の頂点における「開いた末端」の意味を理解する必要がある。


規則の固定的規約と可変的戦略の話は、前から何度も出てきている。固定性と可変性とは、一つのものさしの両極端なのであって、これはどのタイプの階層性にもあてはまることである。そしてどの場合にも、高いレベルへ登っていくにつれて、可変性が増し、固定性が減っていく。


  • 独創性の起源

動物の本能的行動と可変的技能について。

本能的行動とは、ものさしの下端に位置し、求愛、威嚇、交尾、闘争のような、固定的で強制的な単調に繰り返されるパターンが見出せるものである。

可変的技能は、環境に合わせた独創的な行動ができる能力で、チンパンジーやイルカなどのほ乳類に限らず、昆虫や魚でさえもこれを持っている。巣を壊されたハチとか、ヒナにエサをやる雌鳥がいなくなった雄鳥とか、ちゃんとその場に合わせた応用を効かせることができる。これらの複雑に見える行動には、やはりその背後にホロン形構造が存在すると考えられる。


  • 習慣の機械化

機械化とは、慣れのことである。ある技能を学ぶとき、われわれは自分の行為に細かく注意を集中し、大変な苦労を持って学習する。ついで、学習が習慣に凝縮され、そのうち無意識に行為を行うことが出来るようになる(今、普通車免許取得中でまさに学習→習慣の途中の段階)。われわれはこの時、行為を支配する規則を無意識に適用することができるようになったわけだが、それがどんな規則なのかははっきり知ることは出来ない。われわれはそれらがどんな規則なのかをはっきり知ることができないまま、その規則に従っているのである。この規則の中には公理と偏見が組み込まれており、この状況は明らかに危険を含んでいる。


技能の機械化の進行に向かう傾向には2つの側面がある。
積極的な側面としては、それは節約ないし「最小作用」の原理に従う。自動車の機械的操作に慣れなければ周りに満足に注意を向けることが出来ないし、楽器の演奏の技術にばかり気を取られていたら肝心の楽器で「歌う」ことが出来ない。その技術に精通して初めて(運転でも芸術でも)、それを用いて自己を表現することが可能なのである。(物理の勉強においては、言語を扱う技術よりも数式を扱う技術の方が重要だと思う。英語の教科書でも日本語の教科書でも理解度についてはそんなに差はなく、わかるところはわかるし、わからないところはわからない。もちろん英語の方が時間はかかるが。それよりも、数式の扱いに長けているかどうかの方が重要なのではないだろうか。経験から数式の意味を理解することが物理なのだと思う。)
もう一つの側面は、上の階層に広がっていくもので、言わば思考を停止させるものである。もし機械化が階層性の頂点にまで広がってしまったら、その結果生じるのは、自分の習慣のドレイたるこちこちのペダント、ベルクソンのいう機械人である。


  • 一度に一段ずつ

逆に、意識のある自我は、自分の体と心の下位のユニットの自動的な機能に対しては、ごく限られた範囲の干渉しかできない。ハンドルを握っているドライバーは、自分の車のエンジンのスピードはコントロールできるけど、シリンダーの点火の順序とか、バルブの開閉順序とかに干渉する力はない(仮にあったとしても、操作複雑すぎて自分は免許を取れないと思うが)。ある意図が階層性の頂端で形成されると、その意図は個々のホロンを一度に一段ずつ降りていく。階層性の高位の中枢は、下位の中枢と直接の関係を持たないし、その逆もまた成り立つ。もし、中間のレベルをとばして短絡させようとすると、まずムカデのパラドックスに陥るのが普通である(例の足の動きを考えたとたん、一歩も動けなくなるやつ)。この自己意識によって人間もまたムカデのパラドックスに陥る。普通は勝手にさせておく生理的プロセス、例えば消化とかセックスとかに注意が集中すると、そこに障害起る。
低いレベルの階層性に直接のコントロールが欠如しているのは、分化と特殊化に対して支払われた代償である。しかし、状況によっては自動化されたルーティンと断絶することも必要になってくる。つまり、自分の頭で考えろってことだろう。


  • 環境の挑戦

単調さは習慣へのドレイ化を促進し、機械化の死後硬直を階層性の上位まで広がらせる。
反対に、可変的な環境は、可変性のある行動を要求し、機械化の傾向を逆転させる。しかし、環境の変化(つまり環境の挑戦)が急すぎると、熟練したルーティンがいかに可変的であろうとも、もはやそれでは対処しきれない限界を超えてしまうことがある。その後の行動は2つに別れる。
一つは行動の崩壊である。危機的状況に陥ったとき、(人間に限らず)動物は無意味な行動を繰り返す。
もう一つは、新しい形の行動、独創的な解決が突然に出現することである。この「独創的適応」は、生物には正常のルーティンのもとでは眠っている、考えもつかない潜在的な可能性が存在することを暗示する。


 

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この本、もっと早く読みたいんだけど、このアブストラクト的文章を書くのに時間かかって全然進まん。もっと要約して書く内容を短くすべきかなー。ってか、最近要約っていうより、気に入った部分を丸写ししてるだけだし。まぁ、ただ寝る前に読んでるだけより頭に入ってきてるってのはあるけど。