第10章 進化 ー 主題と変奏(その1)

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)


系統発生のしくみについて。つまり進化的な進歩の問題。



前の章でも出てきたが、ネオダーウィニズムでは、進化のあらゆる変化の原因を全て遺伝子のランダムな突然変異に見出そうとする。
しかし、進化に伴う生物の変異の要因は複合的であることが多い。例えば、パンダの親指(余分の6本目)は、骨、筋肉、神経などが一緒に変化しないことには淘汰に有利に働くことはないし、は虫類の卵にしても、両生類のそれから進化するには、卵黄、卵白、固い殻、尿膜、生まれる時に殻を割る為の構造など、同時に変化しなければ生存に有利どころか致命的でさえある要素が、互いに関係しあって進化を成り立たせている(この変化の横の繋がりをもって階層性に結びつけようとしている?あるはその逆か。)。
そして、これらの要素の変化が全て独立にかつ同時に起る確率(というか、全体的に見て淘汰に有利な影響を及ぼし始める段階になるまで、なんらかの変化が偶然によって持続する確率)は、ほぼ無に等しく、生命の歴史のスパンで見てもこのような変化はまず起らない。



だから、これらの進化の過程を全て、単に遺伝子の突然変異に押しこめるやり方は適切ではない。にもかかわらず、遺伝学者は「ショウジョウバエの大集団の突然変異(眼の色、剛毛の分布など、互いに関係しない要素の変化)を統計的に取り扱うことによって、進化を説明することができる。」という還元主義、つまり、生物を要素的な部品の集合としてみなす機械論哲学を信じていた。という。



  • 体内淘汰

ではどう考えるのか?ここで提出される代案は、解放階層系の概念である。


まず、前章の胚の発生についての議論を思い出せば、それは多くのレベルをもつ階層的な過程であった。そこには「融通性のある戦略」が発揮され、たえず環境の影響を受けつつも、それの持つ自律性により正常な器官へと発生していくわけである。
そして、その環境からの干渉が人工的なものではなく、突然変異した遺伝子によってもたらされたとしても同様である。この胚の「誕生以前のスキル」が、全くランダムな刺激を「意味」のある特徴(大きな眼だとか)に整えてくれる。



正統理論(ネオダーウィニズム)によるならば、自然淘汰は全く環境の圧力だけによる。しかし、以上の考察によるならば、新しい突然変異が外部環境でダーウィン的な生き残りの試験を課される以前に、その変異は、物理的、化学的、生物学的な適合性に関して、内部淘汰の試験に合格していなくてはならない。この内部淘汰の概念は、正統理論での遺伝子の「原子」と、進化の生きた流れとの間に残されている「欠けた環」である。



その結果、完成した「環」、つまり「遺伝子の突然変異→内部淘汰→自然淘汰→最初に戻る」のことを解放階層系という。んだと思う。結局、この考え方もネオダーウィニズムの「遺伝子の突然変異が進化のあらゆる変化の原因である。」という主張に反対しているわけではない。ただ、ネオダーウィニズムの曖昧な部分(もしくは無意識に無視されていた部分)を胚発生の階層性を用いて埋めたにすぎない。たしかに(自分にとって)画期的な考えであると思うが。そうなると、この胚の発生の性質によって、生物は上手く進化していくように最初からプログラムされていたと言える。なぜそんな上手く設定されているのか?それは、そうじゃなければ生存できないから。何か人間原理に似た哲学的な話になってしまう。それなら、この胚発生の性質はどこからくるのか?それも遺伝子からきているわけで。そう考えると、今の段階では、結局ネオダーウィニズムの範囲のほんの少しの部分についての詳細が説明できたにすぎないと感じてしまう。



  • 眼なしのハエ

ある劣性突然変異遺伝子があり、それが両親から遺伝すると眼なしのハエが生まれる。しかし、この眼なしバエの純系統どうしを交配させ続けると、完全に正常な眼を持つハエが生じてくる。らしい。(ハエってキモい)



これは、違う遺伝子の突然変異によって引き起こされた、全くの偶然であるとは考えにくい。なぜなら、生物が誕生してから眼を持つにまで至った進化の過程を、ハエがたった数世代で再現するとは考えにくいからだ。そこには、またもや階層性の姿がチラつく。結局、個々の遺伝子よりは高いレベルにある自己修復の計画によって整合されたのだ(と本文にはあるが、結局具体的に何が変化して眼が作られるようになったのかははっきり書いてない。偶然性は少ないにしても、遺伝子の変異はあったということ?多分そういうこと)。つまり、遺伝子複合体の考え方である。個々の遺伝子は、より上のレベルで(おそらくそれも遺伝子によるものではあると思うが)整合されていて、その遺伝子複合体と内部環境は著しく安定である。そして、そのホロンでは、その中で、ある遺伝子に突然変異が生ずると、他のホロンの中で、それに対応する反応が引き起こされるようになっていて、その方針はより高いレベルで決められているというわけである。



この全体としての遺伝子複合体は、自己調節をする安定な遺伝のホロンという概念が必要不可欠である。これらのホロンは、器官の発生を制御し、ランダムな突然変異の影響をうまく導いていき、進化での器官の可能な変化をも制御する。



  • 相同の謎

では、整合の方向性を決定する原理は何か?どこへ行こうとしているのか?



自然は非常に効率的に生物を進化させてきた。地球上の生物は、一見複雑極まる多種多様だが、それを構成する部品はどれも規格化されている。鳥の翼と人間の腕は、骨も筋肉も血管も神経も同じ構造設計を示し、また同じ祖型の器官から由来しているので、相同器官と呼ばれる。アメーバでもピアニストの指でも、同じつくりの収縮性タンパク質が運動に用いられている。
これは、器官が安定な進化的ホロンになった。つまり、ある意味ホロンが自然淘汰の対象になっているといえる。自然淘汰の対象が個体であると主張していた人(グルードとドーキンスどっちだっけ??)の意見とはちょっと違ってきているように思うが…(あれはまた別だったっけ?個体よりレベルの高いホロンが自然淘汰の対象にはならないとは言っていた気がするけど。あやふや…)



この相同構造は、全く別種の遺伝子の作用で生じる場合がある。このことは、遺伝学的原子論では説明がつかない。それに代えて、先のハエの話のように、遺伝学的な微小階層構造の概念を導入する必要があるわけだ。



つまり、遺伝学的階層構造には、「相同構造をなるべく保存していこう」という規則が組み込まれている。っていうことですよね?ケストラーさん?




(その2)へ続く…