動機

 モラトリアムとは、「学生など、社会に出て一人前の人間となる事を猶予されている状態」だそうです。wikipediaより

 大学院生はモラトリアムになるか。

 とりあえず、大学生はモラトリアムにある。


 自分はいつ「社会に出た」と客観的に判断されるのか。社会という名の機械を動かす一つの歯車になったときか。研究は社会を機能させるのに必要だと思う。だから院生はモラトリアムとはいわないと思う。



 人の役に立つ研究には価値がある。それによって、人の役に立たないということが価値が無いこととイコールで結ばれるわけじゃない。だから価値があるということにはならないが。

 目的が応用することで、応用する目的は、利便性だ。目的が利便性の追求だと、便利に生きるという行為の目的は何なのか。そこで漠然と人間の文化を構成する要素を生み出すことだとして、それに目的はないと思う。したいからするのだ。

 合理的な目的なんて、最初からないのだ。応用価値のない研究こそ、わからないから調べる、考える、つまりしたいからする。だから価値があると思う。



 社会に出て一人前の人間となる準備に大学に行くわけじゃなく、行きたいから行くってのは自然だと思う。それも一つのモラトリアム。