「僕も図書館につとめればよかったんだ」と私は言った。ほんとうにそうするべきだったのだ。

自分の場合もちろん修士に進むわけだけど、その後の進路は決まっていない。前から何度も言ってるけど、研究職に憧れ目指す姿勢をとっていながら、正直多分なれないだろうと半分諦めてもいる。学年を重ねるにつれて変化してきた周りの人間の様子に完全に影響を受けているのだ。

そして気持ちが少し前と変わってきて、普通に就職するのだって悪くないとさえ思うようになってきた。物理をやっているのだから、理系の職なら応用が利かないところなんてないほぼと思うし、頭を使って何かを生み出す仕事なら、やりがいを感じる事ができる。
と、こんなふうに、人生は妥協と諦めの連続なんだ。これが大人の階段の〜ぼる〜♪ってやつなんだ。


今のところ

素粒子一本ヒモ理論!→研究職ならなんでも→理系の仕事ならなんでも

ときているわけだが、これがさらに進んで「お金がもらえるならなんでも」なんてことにまでなっていくのだろうか…



そして、そんな中『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んで突然思い立ったんだけど、図書館の司書の資格をとりたい。資格取れても図書館で働くかどうかわかんないけど、もし図書館で働くことになったらそれは自分にとって幸せであるに違いないと気付いてしまった。

結構前に、学芸員の資格をとりたいと思い立って(なんでそう思ったのかは忘れた)調べたら、ウチの大学ではかなり無理しないと取れない(理学部にそんな課程は存在しないのだ)と言われた。今思うと、もし取れるんだったら無理してでも取れるものはとっておくべきだったのだが、まぁ、過ぎた事は忘れるしかない。

で、司書の資格の場合は、ウチの大学には司書課程というものが無いのでこれが取れないんだな(もし司書課程があっても、どっちにしろ今更遅いが)。何の為に学費を払っているんだか。やれやれ。

結局、資格をとる為には違う大学の司書講習というものを受けてそこで必要な単位を取るしかないらしい。この司書講習は夏の2、3ヶ月に短期集中で毎講義を受けて単位を取得するというもので、必要単位取得と司書の資格を持っていることは同値であるらしい。つまり、金払って時間かければ誰でも持てる資格なのだ(大学で63単位くらい取得しているか、短大卒じゃないと講習は受けられないってのはあるけど)。ちなみにお金は10万円くらいかかる。
これ受けたいんだけど、もちろん今年は院試があるからそれどころじゃない。ってか、どこの大学でも7月後半から9月前半までなんだけど、これって期末試験とかぶるし3年生でも大学通いながら受けるの無理じゃね?文系のヒマな人達はいけるようになっているのかな。なんで夏しかやってないんだろう?それこそ社会人がそんなに長く夏休み取れるわけないし、誰向けなんだろう??さらに、講習やってる大学は全国に12くらいしかなくて、今住んでいる地域には1つもない。
自分がこれ受けるには、今年、他大の院試を諦めて推薦でウチの大学院に面接だけでいって、夏休みに(多分、遅い時期に試験をする講義の単位をいくつか犠牲にして)実家から2時間以上かけて通う。それか、来年、就活せずに夏休みに通う。とりあえず、相当な犠牲を払う必要がありそう。

とすると、はたしてそこまでの価値がこの資格にあるのか?ということになる。資格を持っていなくても図書館で働けないことはないらしいし、持っていても必ず働けるとも限らないらしい。

あと、今の図書館でのバイトは何かしら有利に働くような要素はあるのだろうか?


結局、自分は「絶対図書館の司書になりたい」わけではないし、今から研究の道を自ら断つつもりもない。ただ、将来の為に司書という資格をとれたらいいなと思っているにすぎない。そして、今の状況では司書の資格をとることは殆どムリだと言える。つまり、資格を取るメリットに比べると、それに払う犠牲が大きすぎる。結果、取らないという結論に至る。
なんか、学芸員調べたときも同じ感じに結論した気がする…


一応、大学の図書館職員の人に司書どうやって取ったか聞いてみるけど…


世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

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