第1章 心理学の貧困

普段読み慣れている一般向けの科学エッセイ(特に物理)や小説は(自分にとって全体を見渡すのが容易であるので)普通に読める。
しかし、あまり触れたことの無い分野の少し内容の濃いエッセイや評論なんかは、一回サラッと読んだだけだとその時は理解したと思ってもすぐに内容がぼやけてしまう。これは、普段の勉強(特に新しい箇所を初めて勉強するとき)でも頻繁に起きていることだ。続々と出てくる聞き慣れない概念を、その場その場で頭の中にうまく配置していくこと、その概念どうしの互いの繋がりをある程度適当でもいいから構築していくこと、が出来ないことが原因だろうと思う。その結果、新しく登場した概念たちは、ただ羅列している状態でシナプスが周りと繋がることなく徐々に失われていく…
これに比べて、頭のいい人は、一回読むだけで新しい知識をある程度繋がった状態で理解することが出来るんだと思う(もちろん憶測ですが)。これをやるには、より高い情報処理能力と、言語(論理?)をより正確に解釈できる読解力と、あとは単により正確な記憶力が必要である。

で、ここで言いたいのは(自分の頭が悪いという事実ではなく)、長い本を読むときに外部記憶装置としてブログを使ってみようということ。500ページを超えるような評論とか読んでると、最初の方に書いてあったこと忘れちゃうなんてことが間々あるので、思い出すのに便利だし、内容をまとめる作業によっていくらか記憶を助けることにもなると思うし。趣味である読書までアナログなノートを作る気にはならない。

長々と書いたけど、まぁ、覚え書きをしようというだけです。…つまり、ヒマなのです。


 -----ここから『機械の中の幽霊』1章------

  • この本は1967年に出版されている。
  • 著者は20世紀の心理学における、ジョン・ワトソン、バラス・スキンナーなどによる行動主義という学派を批判。
  • ここでいう「行動」とは、意識とか心などの概念を排除した、物理的に観測可能な事象のこと。それまでの心理学は心的な事象を扱っていたが、これは他人によっては観察されえない、本人の内省(自分をかえりみる)によってのみ公にされる事象であったために、この心理学は科学とは見なされない。
  • 行動主義は、19世紀の機械論的物理学をモデルとし心理学を科学にしたいが為に心理学から主観的な述語を排除したが、それでいったい心理学者の研究対象として何が残るのか?と著者は問う。さらに行動主義者は、人間の行動を、彼らの研究室のラットの条件反射的行動に還元分解出来ると主張し、心理学の研究対象から意識や心を除くだけではなくこれらの除外した現象を存在しないことにしてしまった。
  • 「心の存在を否定し、ネズミのレバー押し活動に基づくもっともらしいアナロジーに生きる心理学から出発して、人間の苦境の診断と治療にまで到達するのは無理である。」

対象を究極までバラしてその構成要素の振る舞いを完全に把握すれば、全ての事象が厳密に説明出来る。という安易な思想は、もはや単純化が専門の物理学ですら通用しなくなっている。いわんや人間にこれが通用するわけがない。

しかし物理学において、全ての事象が厳密に説明出来ないとしても、この手法が依然として有効であるのは、理論が近似として成り立つ範囲を定量的に計算出来る枠組みを物理学自体が内包しているからだ。行動主義とは、物理学に憧れて真似をしてみただけの、内容を伴わないエセ科学だという印象を受けた。

そういえば『複雑系』にも、経済学における人間の非人間化を批判するようなことが書いてあった。違う学問の中で同じような現象が流行っていたのか。その時期は覚えてないけど。

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)