第10章 進化 ー 主題と変奏(その2)

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)

違う遺伝子から同じ構造が作られることとか、生物共通にみられる相同構造、が進化を語る上で重要な謎であるというのが、前までの話。

  • 生物学での原型

ダーウィンよりずっと以前、博物学者は進化論者と反進化論者に別れてはいたが、生物の相同構造には等しく感銘を受けていたという。さらに以前には、ゲーテが植物の相同性に気付き、進化論者になった。ゲーテはシシリー島における植物の研究で、植物が持つ何かしらの「固有の正しさと必然性」に気付いたと言っている。それから、解釈はいろいろあったけども、相同の概念それ自体は長く保たれ続け、近代進化理論の礎石になった。しかし、この、相同想像が進化の流れを通じて安定したホロンだったという事実、個体発生と同様に系統発生にも階層性の原理があてはまるという事実は、明示されたことは無かった。


  • 平衡の法則

ダーシー・トムソンが、「一つの種の形態を変形して、他の種の形態にしても、その基本設計はそのまま保たれている」ということを発見した。どういうことかと言うと、ハリセンボンの横姿を2次元直交座標に置いたものを考えて、その座標を(魚姿も一緒に)歪ませる。例えば、魚の後ろの方の座標を上下に広げると、それはマンボウになるのだ(もちろん針はナシで)。これは魚だけじゃなく、一般に言える。人間の頭蓋骨も、この伸縮自在な座標の上に載せれば、チンパンジーやヒヒの頭蓋骨に変わる。これは格子点にくる部分(あごの付け根だとか頭蓋骨の窪みだとか)がどれもうまく曲線状にのっていることからわかる。進化によってこれがなされたのだけど、だとすると、進化とはやはり「ありとあらゆる方向へ」進むのではなく、いろいろの部分の相対成長速度を調節させることにより、全体のパターンを整合させている階層性の頂点からくる制御を受けていると考えるべきである。

つまり、これは進化的ホメオスタシスといえる。また、進化の(完全には決まっていない)プログラムには入力するべき変数(例の座標に関して言えば、その曲率にあたる)があって、これが環境の影響を受けて変数を決めているともいえる。


  • 他人のそら似

有袋類は、有胎盤類と共通の(ネズミみたいな)祖先から枝分かれして、有胎盤類とは全く別に独立した進化をしてきたわけだが、その種のうちで非常に多くのものが、なぜ驚くほど有袋類に似ているのか?オーストラリアは、後期白亜紀にアジア大陸から切り離されたものであって、そのころにいたほ乳類は原始的な小さいネズミみたいな有袋類だった。これが島大陸に閉じ込められると、枝分かれして、モグラ、アリクイ、ムササビ、ネコ、オオカミのようなもの、いずれもそれぞれ対応する有胎盤類の多少不器用な複製品のようなものを生じていった。一億年間に生じた、特に有胎盤類にいないものといえば、カンガルーとワラビーくらいである。


正統理論はこれを、同じような環境に対する適応の類似によって説明されるとするが、これでは不十分である。ほとんど同一な構造が、互いに全く無関係に2回生じたことを説明するには、もっと詳しい進化の内部構造(類を超えて、より一般的な共通原理)のようなものが必要であると思われる。


  • 三六種類の話の筋

人間の感覚器官が取り込んだ情報の爆撃は、意識にのぼったり記憶されたりするのにいくつもの検査と濾過の構造を通過しなければならない。

これは、混沌に対する遺伝の関門を守っている警手にもあてはまる。もし、ありとあらゆる方向へのランダムな突然変異が勝手に入り込んできたら、結果は混沌としたものになる。大抵の小さなノイズは遺伝子複合体の自己制御機構によって速やかに修復されてしまい、遺伝に影響する可能性のある突然変異はごく少数である。このことは、突然変異によって進化してきたはずの生物が持つ相同器官や、さらに高いレベルで器官どうしの間で保っているつりあい、異なる遺伝子の組み合わせによって生まれる相同の器官、別個の進化的起源から似た種が生じてくること、このような全てのことから出てくる結論である。つまり、進化での変化の基礎には何か単一の諸法則があって、変奏は限りなく許されているが、その主題の数は限られているということである。

このことを、「イタリアの劇作家カルロ・ゴッツィが悲劇の状況設定には36種類しかないと言った話」で例えていて、この節の題はそれからきている。


レンズをもつ眼は少なくとも三回、おそらくそれよりはるかに多数回、軟体動物とクモと脊椎動物のようにかけ離れた動物群のなかで互いに独立して進化してきた。そして、そのレンズをもつ眼にしても、それ以外の像を結ぶことの出来る眼である(昆虫の持つ)複眼にしても、オウムガイの針穴眼にしても、その中でそれぞれいろいろなものがある。魚、ほ乳類、捕食性の鳥など、それぞれの眼が、生きる為に適した構造や性質をもっている。

つまり、眼という器官が進化的な時間の流れの中で安定なホロンである(それは地球上に生まれた種のなかで何度も独立に生まれてきていることからそういえる)一方で、制限されてはいるが無限の可能性を最大限に利用して、その眼を生存に最も適したものに進化させることができるのである。多分、地球にいくらか似ているような惑星に誕生した生物は、人間が見たとしても、どこか生物らしさを持っていると感じることができるのだろう。