第5章 ひきがねとフィルター

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)


階層性をもったものが機能する際の出力と入力のメカニズムについて。


  • ひきがね

例えば、人間がタバコに火をつける動作をする時、一々どこの筋肉がどれだけ縮めばいいかなんて考えたりしない。「手を伸ばす」「持つ」「動かす」くらいの階層レベルなら意識するけど、それより下のレベルの階層のホロンには多分名前すら付いていない。このとき、「意識する」のが引き金となってピタゴラスイッチ的に一つずつ下の階層に適当な命令が伝わり、伝言ゲームのように次々とそのホロンの役割が果たされて下へと繋がっていっている。特殊化または非抽象化。

この出力メカニズムは、一般にどんな階層性にもあてはまり

「階層性のnレベルにあるホロンは、n+1レベルから見れば一個のユニットであり、一個のユニットとしてひきがねを引かれる」

と言える。



他の例

    • 胚発生の経過。引き金は普通は精子だけど、針で突くだけでも成長を始める場合もある。
    • 親動物の本能的活動。雄の攻撃性を和らげる色だとか、小鳥の営巣活動だとか。

鳥の巣作りの話は面白かった。エナガという鳥。ソープという人が、この鳥の営巣活動について、動作パターン(例えば材料を「探索」したり「採集」「編む」「プレス」「踏みつけ」「裏打ち」)を14数えていて、そのそれぞれはいくつかのより単純なパターンからなっており、少なくとも18の異なる解発因によって引き金をひかれるという。
巣の材料として、コケ、クモの糸、地衣、鳥の羽毛、の4種類を用いるが、各々役目が違って、ちゃんと作り方の順序も決まっているのだ。
この事実の興味深い点は、「巣がどのような形になるかというなんらかの「概念」と、こことここへ一片のコケや地衣をつけ加えることが「理想」のパターンに近づくステップであり、あっちへつけ加えればそのパターンが崩れてしまうだろうというある種の「概念」を、鳥が持っているという証拠がえられたことである。」
行動主義の立場でこれを説明するならば、それぞれの動作パターンの段階には一々アメと鞭が必要だということになるのだが、実際にはそんなものはない。にもかかわらず、鳥は何の報酬もうることなく巣が完成するまで活動し続けるのだ。これを説明する為にはやはり、鳥が「概念」を持って行動していると言わざるを得ない。しかし、例えばクモの巣はどうなんだろう?クモが「概念」を持って巣を作っているといえるのだろうか…高々虫の分際で。クモの巣くらいなら、糸の交差する点における決まり事(角度とか)が2、3あれば全体を思い描くこと無しにできそうだけど…。つまり、クモの巣くらいならば、遺伝子の(どっちかって言うと直接的な)表現形と言えるんじゃないかなって思う。



  • フィルター

人間が情報を知覚するとは、目や肌などから刺激を受けて、それを分析、解読、分類、アブストラクトして、意味のあるメッセージに転換することである。この作業を行う、知覚器官の中に組み込まれた処理機関の階層性について。非特殊化または抽象化。
人間の脳は、目から入った光の情報をそのまま映し出しているのではなく、絶えず勝手に自分の思い込みによって解釈し直した世界にしている。この事実はいつ聞かされてもその度に驚かされる。だって、そのことを普段意識しようがないのだから。

物体の大きさや、色や形は自分の脳によっていくらでも変更されるという。特に、大きさと形は、マクロに見れば現実に存在している概念である(触ることによって言わば「正しい」大きさと形が存在することがわかる)が、一方で色というのは、初めから「正しい」色なんてものは存在せず、人間の脳が勝手に作り出した幻にすぎない(こういうのをクオリアとかいうのかな…)。赤と緑の光を混ぜると黄色に見えるのは人間だけ。逆に言えば、黄色じゃない色を黄色だと錯覚している。これは脳で変更される以前に、目が光に刺激される時点で錯覚しているんだけど、まぁ言いたかったことは、世界を認識する際に自分の脳が勝手に思い込みを加えちゃうわけだけど、じゃあ、正しく認識はできないけどもそれとは別にもとの「正しい」世界が存在しているのかといえば、そうとは言い切れないってことだ。
そういえば、子供のとき、「もし、他人の言う青色が(自分にとっての)赤色に見えていたら、その違いに気付けるのか」ってことを真剣に考えてた。「青い空が気持ちいいねぇ」なんて言いながら、その人は実は血のような真っ赤な空を見ていて、その人にとってはそれが自然な世界だったりしたら、どこかで、自分とその人の感覚が違うことに気付くことができるのだろうか。もし、絶対気付かないといえるなら、実際にこういう事が起っていることになる。なぜなら、この場合起っていない方が不自然だから。


ちょっと話がそれたけど、つまりバートレットの言葉

「われわれの基本的な知識すら、推測の産物である」

ってことだ。




さらに、階層性を一段登ると、パターン認識という不可解な現象に踏み込む。

音楽を聞くとき、耳が空気の圧力の時間変化に刺激されるわけだけど、圧力の時間変化っていうのは結局単一の変数で記述できる。それが、人の声や様々な楽器の重なりあいを表現できるのはなんでか?ここにも人間の脳が介入してきて、その独自の解釈によって意味を見出すのだ。

音楽は時間的なインパルスの系列であるが、これの解釈に用いた階層性のもたらした最たるものが人生という名の錯覚である。過去の記憶と未来の予感は頭の中にしか実在しない。本当に在るのは今だけなのだ。この錯覚によって、人間の潜在的な苦しみの一部が生み出されているのではないだろうか。つっても、それが人間なんだろうけど。


「しかし人間は、彼の感覚につきあたってくる視覚や音のさわがしい混乱に意味を読み取ろうとする抑えがたい傾向をもっている。」
「もし自然が真空を嫌うとすれば、心は無意味なものを嫌う。」



結局、
「われわれは自然を部分の中の部分という編成を持つものとして理解せざるをえない。なぜならば、すべての生物とすべての安定な無機的システムは、部分の中の部分という構成をもっており、それがこれらのものに分節とまとまりと安定性を与えているからである。」