第9章 胚の戦略

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)

ここから「第二部 生成」に入っていく。
今更だけど「第一部」は「秩序」ということで、いわば第二部、第三部のための準備の段階だったわけだ。具体的には、心理学に対する批判から始まって、階層性やホロンについて実例を挙げながらクドいほど説明してきた。やっと、これから本題が始まるって感じでしょうか。




この章は進化論の歴史的経緯の紹介から始まる。
自然淘汰の考えを初めて取り入れた「古典ダーウィニズム」に始まって、次は自然淘汰に必要な個体間の差異が遺伝子の突然変異によってもたらせるとした「ネオダーウィニズム」。これらは、地質学的な長いスパンで見れば生物進化の全てを説明できるという。

しかし、これらダーウィニズムは本当に「全部」を説明できるのだろうか?少し楽観的過ぎはしないだろうか?ネオダーウィニズムは遺伝子と個体は不可分であるという前提の元で、自然淘汰の力が直接に遺伝子の差異に働くと考えているが、これは少々短絡的過ぎる。遺伝子はただその個体が作り上げられるときにタンパク質の配列を指示するだけで、個体の重要な要素ではあるが全てではない。例えば、個体が生まれてから死ぬまでの間に獲得した形質(獲得形質)がなんらかの方法で遺伝したりしないだろうか(ここら辺の議論は昔読んだ「パンダの親指」を思い出す。ほとんど覚えてないけど。)ここで「何らかの方法で遺伝する」というのは、「直接に遺伝する」とは全く違うことを強調して言ったつもり。かつて20世紀前半のソ連でルイセンコ事件というのがあった。


--[ルイセンコ事件]-------
ソ連のルイセンコという研究者が、個体の獲得形質(身体の構造上でも生活上でも)がそのまま直接その個体の子孫に遺伝するという独自の考え(ラマルク主義的な)を持っていて、メンデル遺伝学を批判していた。そして、この人がスターリンに取り入ってその権威的な立場を利用し、ちゃんとした研究成果をあげていたメンデル学派を弾圧していったというもの。(この事件をただの社会主義の悪い面だといって片付けることはできないと思う。)
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経験は遺伝に作用を及ぼしはするが、このような単純な仕方でないと著者はいう。ランダムな突然変異が自然淘汰で保存されることも進化の歩みで一役買ってはいるが、それで全てでは無いのだとも。
この章と以下3章ではネオダーウィニズムに施された修正によって、むしろぼろぼろに崩れてしまった理論の破片を紡いでいく。らしい。



  • 従順性と決定

↑胚の、である。胚の発生について、その可変的性質と自己主張。
胚発生の最初からある段階までは、周りの状況に対して融通を利かせることが出来、環境からのフィードバックによって可能な発生経路のうち、どの道を実際に進むかを決める。例えば、脳から伸び出てきた眼盃(未来の網膜)が体表に触れると接触部分の真上の皮膚は内側へへこんで窪みになり、透明なレンズへと分化していくが、この眼盃をもしカエルの胚の腹部の皮膚下に移し植えると、その真上にある皮膚はレンズになる。胚はこのような「従順性」を持っている。
一方で、ある程度発生が進んで発生可能性の分かれ道をもう引き返せないという地点ももちろんある。そこまでくると、その組織の次の発生段階が、不可逆に「決定」される。発生の段階が進むにつれ、細胞世代はだんだん特殊化が進み、それに伴って融通性は低下していくのだ。これの例えとして、学生が選ぶ進学コースが挙げられていたが、まさしくそうだなぁ(なんとなく、自分としてはシュレディンガーみたいな感じに最終的には生物の分野の研究にいくってのに憧れるのだが…何か成果を上げ続けることが必要なのだろうなぁ)。


発生可能性が不可逆的に決定された段階は、形態形成野、器官原基、「芽」とかいろいろ呼ばれる。そして、この形態形成野は自己調節ホロンとしての全体性を示している。例えば、発生途上のある時期に眼盃を数個にバラバラに切り離しても、各断片から小型の正常な眼が出来てくるし、胚を潰して濾過しても、再び形を取り戻す。(この胚発生におけるホロン型構造の主張は以前の章でもあったと思う。)


そして、この自己調節機能、自律性は、生物に絶対不可欠の安全弁であると著者は言う。たえず変化する液体環境の中で分裂し分化し動き回るのだから、元々ある基準と規格からのズレを正して品質を保証する自己調節機構がないと生物はとても種を維持できないだろう。このフィードバックの機構を生物学者は「発生のホメオスタシス」という。らしい。



  • 遺伝の鍵盤

染色体中の遺伝子は、胚であれ細胞の成体であれ、それらの活動を支配しているといえる。ところが、体内の全細胞はその機能が違うにもかかわらず、同じ完全な染色体組織を持っている。同一の染色体が指揮しているのに、なぜ全く違う機能を持つ細胞がその任務を果たすことが出来るのか?

これに対する解答は、昔は簡単なものだった(といってもこれが書かれたのも今は昔だが)。本文ではこれを、染色体を巨大なピアノに見立てた例えで紹介してあった。そうすると、各鍵は遺伝子ということになる。そして、特殊化した各細胞は、各々その特殊性に応じた1種類の和音しか響かせることができないというのだ。遺伝の鍵盤の残りの部分は壊れて動かなくなってしまっている。受精卵から数世代までは鍵盤全体が使えるが、特殊化が進行するたびに鍵盤が徐々に壊れていく。そして最終的には一種の和音(筋肉の収縮とか)しか演奏できなくなる。さらに言えば、突然変異遺伝子は調子の狂ってしまった鍵ということになる。かなりの数の鍵が狂ってしまったとき、その結果として改良された旋律ができて、は虫類が鳥になり、猿が人間になる。

これは一見うまい考え方に見えるが、遺伝子を遺伝の原子的単位として扱い、理論を単純化しすぎている。これを改良し、もうすこし柔軟に、一個の遺伝子が広い範囲の様々な形質に影響を及ぼすこと(多形質発現)や、その逆に一個の形質を生ずるのに多数の遺伝子が作用しあうこと(多因子性)も理論に含め、遺伝子複合体つまりゲノムという概念を取り入れたものの方が、実験結果を上手く説明できる。さらに、この遺伝子複合体同士の相互作用や、遺伝子の外的状況である細胞、またそれを取り巻く環境(他の細胞)、つまり環境の階層性、からのフィードバックにも影響を受けるし、逆に作用もすることもわかっているという。


つまり、遺伝子複合体の活動は複雑に絡み合ってはいるが、階層的秩序を持って行われる。これは決して遺伝子を原子とした原子論で説明しきれるものではない。ということだろう。(物理学以外(例外はあると思うが)の科学(特に生物学)って本当に大変だと思う。結局ほとんど複雑系だよね。特に進化論とかは時間のスパンが違うから実際に実験してみるってこともできないし。)


具体的に遺伝子複合体の活動を追っていく為に、細胞の特殊化の過程を考える。
特殊化に伴って遺伝子のスイッチを切ったり、時には入れたりするものの「本体」を詮索していくと、ここにはまたしても、例の「ひきがね」とか「フィードバック」の仕組みが顔を出す。「ひきがね」の具体例には「誘導原」とか「作用遺伝子」とか「オーガナイザー」とか「抑制遺伝子」とかいろいろあるらしいが、これらの作用について一つ言えることは、それが循環して進んでいくということ。遺伝子が細胞を支配するが、遺伝子はまた細胞からのフィードバックに影響される。そうして、細胞質がどの遺伝子のスイッチをいつまで切ったままにしておくかの決定に、参加するのである。


こうして細胞の特殊化の方向はその場所によって決められ、各形態形成野はホロンとなる。その全体としての運命は、各段階である程度「従順」的で「決定」的でもある。


胚発生の階層性と、以前の章で出てきた階層性との一番の違いは、前者が時間軸に沿っているということである。この場合、階層性の各段階は発生の諸段階である。



結局、生物は胚の発生の段階(つまり誕生以前)からすでに階層的過程を経験しているわけである。