第12章 進化(続き) ー ご破算とやりなおし

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)


進化が、ある1つの特殊な環境に対して適応していく過程において袋小路に陥り、そこで進化が止まってしまう。というのは自然界のあちこちで見られること。というか、(この本によれば少なくとも)人間以外の全てのほ乳類、は虫類、鳥類はこの袋小路に陥っている(らしい)。


  • 幼形進化

しかし、生物はこの袋小路から一旦引き返して、違う進化の道を辿ることができるという。それは幼形進化というもので、ある袋小路に陥った種が、成体に成る前に性的に成熟し、新たな進化の可能性を模索するというもの。
具体的には、棘皮動物の幼生段階から脊椎動物が進化したという話がある。ナマコの幼生は海底にへばりついている成体とは違い、自由に泳ぎ回れる。子孫を物理的に遠い場所まで飛ばすという役割は幼生の方にあるらしい。この自立自営の幼生は親より強い淘汰圧を受けて進化し、役に立たない親の段階は、その生活史から全部消してしまったのだ(そもそも、なんでそんな役に立たない成体に成長するように進化したのかは興味深い問題だと思う。どんな環境に適応してきたんだよって感じ。)。

同じような例としては、ムカデの幼生型→昆虫、類人猿の胎児→人間、なんかがある。



人間は、類人猿よりもその胎児に良く似ている。全体重に対する脳重量の比率とか、視線の方向が脊柱と垂直になっているところとか。人間の成体は他にも胎児的特徴が随所にみられ、性交するときに対面位なのもその身体的特徴からくるらしい(そういえば、動物たちってみんなうしろだよな。とか思った。ってことは…)。



あと、本にちょろっと書いてあったけど、
J.B.S.ホールデンって人が「もし、人間の進化が過去と同じ線にそってこれからも進むならば、子供時代はさらに長くなっていき、成熟はさらに遅れるであろう。はっきりと成人の特徴であるような形質のうちには、失われるものもででくるであろう。」って言ってる。ってことは、より長い期間子供であるような人ってむしろ生物学的に進んでるって言えなくもない。(あくまで冗談の範囲で。ですが。こういう考え方って肌がより白い方が進化しているってのと似てなくもない。要は進化の方向がどっちを向いてるかが問題で、それは環境に影響されるから一概にどの方向が人間的であるかなんて決められない。)

他にもオルダス・ハクスリーって人は小説で「人間の絶対寿命が人為的にひきのばされていくと、老人の中に霊長類の成体の特徴がもう一度現れてくる機会もありはしないか。」って指摘してる。作家って面白いこと考えるよな。



  • 進化の袋小路

幼形進化というのかは知らないけど、胚の魚→両生類も同じような考え方が出来て、エラの魚が退化して胚の魚になって両生類になったわけじゃないけど、祖先が、胚の魚より進化しているエラの魚じゃないってことがポイントなわけで。結局より進化しているエラの魚は進化の袋小路に陥ってしまったわけだ。




著者はこの後、またもや「進化は全くの偶然によって盲目的に進むわけじゃない」と主張するのだが、つまり自然が何らかの目的を持って(隠喩です)いるように振る舞うので、その目的とは何かが気になるところ。今のところ、その目的をはっきり明示してくれていない(具体的な個々の方針はたびたび出てくるけど)。
「進化の袋小路」という言葉を、人間以外の種に適用しているところをみると、著者は人間に(知的生物に?)進化することが目的であると考えているのかも(いろんな言い方があると思うが、その中の一つとしては少なくとも間違ってはいない気がする)(自分で勝手に予想していることです)



  • まとめ

進化の流れは、特殊化の道をさらに進むものと、一旦道を戻って別の方向に進むものがある。

進化は全くの偶然が支配しているのではなく、複雑な構造を持っている(大きくは、固定された規則と柔軟な戦略とに従っている)。しかし、同時に全ての生き物は、与えられた可能性をもっともよく利用しようと努力している。それが階層構造のどのレベルにも存在してる。互いに別個の起源から、相同器官やよく似た動物形態が生じて、原型的な多様の中の一様性を提供している。